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名古屋のおいたち 芸どころ・名古屋 名古屋人物伝
築城と清州越し
 

 慶長15(1610)年、徳川家康の命により、金のシャチホコを抱く名古屋城の築城を開始。それまで尾張の中心だった清洲(現在の愛知県清須市清洲)から武士、町人、神社・仏閣など、城下町も丸ごと名古屋へ。いわゆる清洲越しであり、清洲城下の町屋約2,700戸のほとんどが移転したとされる。
  「名古屋」は、那古野、那古屋、名護屋、波越など様々な表記があったが、明治以後、「名古屋」に統一。名古屋の別名「蓬左」は、京の都や海から見て熱田(蓬莱)の左に位置しているため、こう呼ばれたという。

 
 

那古野城(なごやじょう)
 織田信長の生誕地。今川氏親が1500年代前半(大永年間)に築城したが、後に織田信長の父・信秀が攻略。場所は現在の名古屋城二の丸あたり。
 信秀は、信長が生まれた天文3(1534)年に古渡(ふるわたり)城を築城し、天文6(1537)年に入城。その後、天文17(1548)年に末森(すえもり)城を築城して移り住み、古渡城を廃城とした。
 ちなみに、古渡城址は東本願寺名古屋別院(中区橘2)、末森城址は城山八幡宮(千種区城山町)と、いずれも現在は寺社地。


駿河越し(するがごし)
 名古屋城初代藩主義直(家康の九男)が駿河から名古屋へ入国したのが元和2(1616)年。その際、義直に従って名古屋入りした駿河商人のことを通称「駿河越し」と呼んだ。

 
 
 
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